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「ミュンヘン」 [cinema]

ミュンヘン スペシャル・エディション

ミュンヘン スペシャル・エディション

  • 出版社/メーカー: 角川エンタテインメント
  • 発売日: 2006/08/18
  • メディア: DVD


「宇宙戦争」を結局見逃してしまったので久々になるスピルバーグ監督の作品です。
ミュンヘン・オリンピックでの陰惨な出来事の報道されなかったその後日談が物語の中心です。
この作品に描かれているヒトの行動は、誰もがというと語弊はあるだろうけど十分理解できる心の動きなんじゃないかと思えます。そういう心の中の暗部を恐らく自分もヒトとして持っているんだろうと。
<以下、ネタバレに近い内容を含みますので>

一旦ちょっと映画の内容から発想が逸れます・・・
骨格から推察される比較で、ネアンデルタール人には現在のヒトが持っているような前頭葉の発達はなかったらしい。ヒトはこのネアンデルタール人の子孫ではなく、別の系統から出現したとされる前頭葉を発達させたクロマニヨン人の骨格に近いというのが現在判明している事実であるとされているらしい。前頭葉は現実を軽々と超えた芸術的な発想の飛躍、着想の発展も行うが、一方で例えば道具も実際的・現実的でより効果のある便利で優れたものを次々と開発できる創造性も働かせることができる脳の部位ということらしい。それゆえ、複雑で多義的な言葉を用いた文学が生み出されもするし、自然の摂理では説明のしようのない暴力を行うこともできてしまうらしい。本来、脳は理性と本能の矛盾する方向性のバランスをとりながら機能するはずであるが前頭葉には簡単にその箍を外すだけの働きがあるらしい。だらこそ、輝かしい科学技術の研究成果を実証するため原子爆弾が投下されることもあるし、大儀のために殺人も正当化される。

・・・と、そんなことを映画を観ながら考えている時点で、作品の内容を離れて自分も発想の飛躍をごく自然に行っているわけです。

主人公アヴナーが夢の中で出会う憎むべき敵は自分たちの顔と何も変わらない、ただ祖国が違うという差異だけでお互いを傷つけているという事実。残虐なテロ行為を実行しているその人物は、ただその状況に置かれたことで生まれる人格なのかもしれない、それはありふれた市民であったはずの自分自身であったのかもしれないことに気づいてしまう。
1972年、ミュンヘン・オリンピックというひとつの平和の象徴が舞台となっている皮肉。
21世紀になってもヒトはまだ自らをコントロールすることさえ十分にできていないんだろうか。
すでに十分すぎるはずの犠牲を払っているにもかかわらず。


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コメント 4

くみみん

こんにちは。そうでした。「ミュンヘン」もやっているんですね。
「ナルニア」も観ていないし…と、話がそれました。
エリックバナがどういう哀愁をみせるのか興味あるのですが、
観に行けるかな?
人間同士が殺し合わない世界は無理なのかな?って思いますよね。
殺戮の本能を人間は人類誕生の頃から持っていたのでしょうか?
by くみみん (2006-03-21 12:24) 

cs

kumiminさん>
コメント&niceどうもありがとうございます。
エリック・バナの苦悩は見応えがありました。それは特別な感情ではなく、ごく自然におそらく自分にも沸き起こるであろう心の動きで、それを演出するスピルバーグ監督の手腕はやはり一流なんだと思います。
人間が殺し合わないで共存することが、たぶん能力としては人類誕生のころからちゃんと備わっているはずだと思うんですよね。でも、未だに踏み外してしまう危うさも持ち合わせているのは事実で、殺戮や破壊の本能の実態をもっとうまくコントロールできるようになるまで人間はあとどれくらい時間がかかるんだろうと考えると、答えは出せません。でも、パンドラの箱の中に最後に残ったものは“希望”だと、どこかで聞いたことがあります。問いただし続けるしかないんですよね。
by cs (2006-03-21 15:10) 

minku

くおいるさんの感想を読んでいると、また観たいと言う気持ちが起こってきました。
平和を祈りながら、自分自身、理性を忘れない為にも繰り返し観たい1本になりました。
生まれた時から「国」がある日本人には、なかなか理解は出来ない彼らの気持ちだと思いますが、色んな人の痛みが判る人間になる様に、傲慢にならない様にしないといけないなと感じました。
by minku (2006-03-21 17:26) 

cs

minkuさん>
コメントどうもありがとうございました。
民族が交じり合って共存しているっていうのは、日本人の通常の感覚ではたぶん身についていないんですよね。人間同士の関係性が様々な形をとるっていうのは何百年も争ってきた都市の生活の特徴らしいです。だから国境とかについても感覚的に日本人には身についていない部分があると。
でも逆に里山の感覚を西欧の人は理解しがたいようです。八百万の神っていうのは自然そのものが人と不可分に結びついて、理屈じゃなくて経験則としてリサイクルの概念の中に生活があって、境界が引きにくいっていう。
・・・この辺の説明はどうもうまくできませんが、スピルバーグ監督が訴えかけたかったテーマは十分伝わったんじゃないかと自分なりには消化してみました。
他人の痛みを感じ取れることは、民族とか無関係に共通で美徳としていいはずのものですよね。
by cs (2006-03-22 00:01) 

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